灯台守のパン

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ままならない人生にも希望がある/ベイビーわるきゅーれ1&2

▼ベイビーわるきゅーれ(2021年)
 深川まひろ(伊澤彩織)と杉本ちさと(髙石あかり)は、殺し屋協会に所属するプロの殺し屋コンビ。高校卒業後は寮を出て独立するという協会のルールにしぶしぶ従い、東京・鶯谷で二人暮らしを始めたばかりだ。
 慣れない新生活では、家賃の支払い、料理、洗濯など、初めて自力で取り組む生活のこまごまとしたTO DOに翻弄される。だが二人にとって最も高いハードルは、殺し屋以外の「表向きの仕事」を得て継続的に就労することである。コミュニケーションが不得手なまひろは面接に立て続けに落ちたり、短気なちさとは職場で大立ち回りを演じてクビになったりと、なかなかうまくいかない。
 まひろはちさとに頼み込み、ちさとと同じバイトの面接を受けることに。しかしそこは、まひろが苦手な接客能力を求められるメイドカフェだった。

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▼ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー(2023年)
 二人暮らしがすっかり馴染んだまひろとちさとは、不器用ながらも仲睦まじく共同生活を営んでいる。しかし、彼女らの命を虎視眈々と狙うアマチュアの殺し屋兄弟が現れる。彼らの名は神村ゆうり(丞威)と神村まこと(濱田龍臣)。
 神村兄弟は殺し屋協会に正規に所属しておらず、仲介役の赤木(橋野純平)を通じて協会の下請けの殺しをこなすポジションだ。が、ミスが多く手際も悪い。まひろとちさと程の実力は無い。先行きの見えない彼らは「正規の殺し屋を殺せば、空いた枠に繰り上がって協会に登録される」という噂を信じ、一発逆転を狙うことにしたのである。

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 監督 阪元裕吾、アクション監督 園村健介による『ベイビーわるきゅーれ』(2021年)および次作『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』(2023年)は、主人公 まひろ&ちさとの仕事パートと私生活パート、シリアスパートとコメディパートを絶妙なバランスとグラデーションで描き分けたアクション映画シリーズだ。2024年秋に3作目の公開を控えている。
 本シリーズ内で、まひろとちさとは「年若い殺し屋の女性キャラクター」というフェティッシュな性的記号として消費されていない。喜怒哀楽も尊厳も、生活も悩みもある一個人としてディティールを積み重ねられていく。時に気だるく、時にハイテンションに繰り広げられる会話のテンポや親密な暮らしぶりは語り尽くせないほど魅力的だが、本稿ではまひろのアクションに焦点を当てたい。

 まひろのアクションは、演じる伊澤彩織さんのスタントパフォーマーとしての実力が遺憾なく発揮されていて非常にクールだ。ちなみに、まひろもちさとも、アクションシーンで衣服が破れたりプライベートパーツがクローズアップされたりするような演出が一切ないので、安心して観ることができる。
 状況や対戦相手によって異なる工夫があり、どれもすばらしいのだが(銀行強盗を手近な道具で小気味よくいなし、「ほらほらどうした」と言わんばかりにファイルを軽く叩くしぐさの格好良さ!)1作目冒頭、コンビニ店内での格闘シーンは見る者に忘れがたい印象を残す。
 バックヤードで面接を受けていたまひろが、店長(大水洋介)の高圧的な態度に耐えかねて彼を撃ち殺して店内に戻ると、複数の男性店員が彼女を待ち構えていて……というところから始まる当該シーンで、まひろは終始落ち着いている。相当の場数を踏んでいることがわかる。スピードも、度胸もパワーも、テクニックもある。圧倒的に強いのだが、対戦相手である成人男性との体格差・体重差・人数差により、折に触れて体を引きずられたり、引っ張られたり、抱え上げられたりするのだ。けれど、まひろにとって対戦相手との体格差・体重差・人数差はとくべつ想定外ではないらしく、これらの要素込みでトレーニングしていることを窺わせる動きをする。
 まひろが群を抜いて優れたファイターであることと、とは言え油断すれば負ける可能性があることが同時に伝わる。勝ち負けのぎりぎりを攻めるエッジの効いた緊張感はひどく生々しくて、一気に惹きつけられてしまう。

 しかし言うまでもないことだが、前提として、まひろがいかに強かろうが1人vs複数人はアンフェアな対戦カードである。これと対極の限りなくフェアなカードとして、2作目ラストのまひろvsゆうりを挙げることができるだろう。
 人数的な意味でもそうだが、お互いに対するまなざしがフェアなのだ。いや、物語の経過に伴ってフェアなものに変化したと言うべきか。まひろ&ちさとも、ゆうり&まことも、物語序盤では相手チームをやや甘く見ているのだが、その視線に少しずつ同業者同士の親しみやリスペクトが滲んでくる。

(ちさと)「あいつら、うちに所属したら良い殺し屋になれたかもね」
(まひろ)「うん。結構やるようになってきたな、あいつら」
(略)
(まこと)「あいつら、仲間だったら楽しかったのかな」
(ゆうり)「かもな。でも、あいつらとはこうしているのが一番楽しいだろ」

 女性キャラクターと男性キャラクターの関わり方において、恋愛や性愛の感情の芽生えを最上位とする傾向がいまだ根強いなか、仕事の腕を素直に称え合い、且つヘテロ的恋愛の文脈に回収されないという稀有な着地点は胸を打つ。気絶から目覚めたゆうりとまひろが交わす「おはよう」は、夏休み明けの教室の朝や、部活の合宿所のような、なんとも言えない素朴さと瑞々しさで溢れている。
 このシーンでのまひろの戦闘能力は、ターゲットを倒すことのみならず、同業者とのコミュニケーションツールとしても機能しているのだ。人物に表情があるように、アクションにも表情があることを、まひろの身のこなしを通して今更ながら私は知る。スタントパフォーマンスというジャンルの豊かさと奥行きに圧倒される。

 大半の生身の人間と同じように、まひろは数多の欠点を抱えている。振込は期限内に済ませられないし、洗濯機に衣服以外を放り込んで壊してしまう。バイトの面接には落ち続ける。コミュニケーション能力の低さゆえに自己嫌悪に陥ったり、大切なちさとに八つ当たりしてしまったりする。まひろには、まひろの手に負えない分野がかなりたくさんあるのだ。
 そんなまひろが繰り出す鋭いキックや、唸るパンチは、「ままならない人生のなかでコントロールできる数少ないもの」として、小さな希望の姿をしているように思えてならない。まひろは不器用で口下手だが、アクションはスマートで力強く、饒舌だ。そういうものが、一人一人にあるのかもしれない。これを読んでいるあなたにも(たとえば私個人について言えば、その場で考えて人前で話すことは不得手だが、時間をかけて考えて文章を書くことには自由を感じる)。
 ままならない心と体と人生を、ほんのひととき完璧に支配するまひろの堂々たる身のこなしに、同じくままならない世界を生きる私は揺さぶられる。日々の生活をなんとか送るだけで精いっぱいで、苦手なことに落ち込んで、つい忘れがちになる自分の強みやポジティブな可能性を、まひろのアクションを通して思い出したくなるのだ。3作目ではどんなアクションが観られるのか、楽しみでならない。

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