灯台守のパン

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となりのバクちゃん/『バクちゃん』

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バクちゃん(2020年)
著者:増村十七

 漫画『バクちゃん』(増村十七)の打ち切りが決まった。
 ということを知って、胸が奇妙にざわついた。『バクちゃん』はすこし前に1話だけ読み、それ以上は読み進めていなかった。
 読めなかったのだ。

 私は地方出身で、長く地元で暮らし、その後関東に引っ越した者である。
 バクちゃんをはじめとする移民の方々の生きづらさと、同一国内で生活圏を変えただけの自分の経験を、おなじものとして語るつもりはもちろんない。しかしそのあたりを慎重に差し引いてもなお、育った環境と異なる文化やスピードに戸惑うバクちゃんの姿はかつての自分に重なり、びっくりするくらい泣いてしまった。
 そうだ、こんな感じだった。乗るべき電車がわからなかった。すでにギュウギュウに人が詰まっている車両に踏みこむのに勇気が要った。常に緊張し、かと思えばひどくぼんやりとしていた。
『バクちゃん』1話は、住む土地を変えることに伴うあらゆる心細さを鮮明に蘇らせた。ページをひらいていなくても、「ホントは永住したくて」と言うバクちゃんと、慣れたようすで「入国審査でソレ言っちゃだめだよ」と返す案内係のやりとりを思い出すだけでまた泣いてしまうのだ。バクちゃんの残像を振りきって眠ろうとしても、枕が涙で濡れた。
 こんな調子で、続きを読めるわけがない。バクちゃんには申し訳ないが、『バクちゃん』を忘れてしまいたい。
 好きかどうかと聞かれたら、正直なところ、迷うまんがだった。おもしろくないからとか興味がないからとかではない。バクちゃんのたたずまいが訴えるものが自分にとって強烈すぎて、容赦のない感じがしたのだ。新しい世界でバクちゃんが抱える不安は、身に覚えがありすぎた。
 しかし、そんな『バクちゃん』の打ち切りが決まったことを、ぐうぜん知った。
 反射的に、なぜ、と思った。『バクちゃん』はたぶん、ものすごく大事なことを伝えようとしているのに、と思った。
 勝手なものだ。1話しか読んでいない上、『バクちゃん』を忘れてしまいたいとさえ願っていたのに。
 私は考え直し、『バクちゃん』1巻を改めて手に取ったのである。

 簡単にあらすじを説明しよう。『バクちゃん』の主人公は、バク星人の男の子、バクちゃんである。
 バク星人にとって、夢はとてもたいせつな食べものだ。夢以外のものも問題なく食べられるのだが、バクちゃんいわく、「夢がないとなんだかず──っとお腹が足りない感じ…………」(第4話)なのである。
 しかし、バクの星ではだれも夢を見なくなってしまった。夢は星の外でしか手に入らない貴重なものになったのだ。
 バクちゃんは、夢を求めて地球に──東京にやってきた移民である。東京には大学で研究員をしているおじもいる。ここで住まいを見つけ、仕事に就き、できれば永住権を取りたいと考えている。

 さて、『バクちゃん』から出発して移民について考える教科書として、望月雄大『ふたつの日本』(講談社現代新書、2019年)を読んだ。

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 同書によると、日本の「移民」の数は定義によって異なるそうだ。永住権を持った外国人を「移民」としてカウントすれば108.5万人だが、「在留外国人」全体をカウントすると263.7万人になり、超過滞在者まで含めると400万人超に膨れあがる(主に2018年6月末時点)。
 どの範囲を「移民」とするにせよ、多様なルーツを持つ人々が日本で暮らしている事実は数字が物語っている。それなのに政府は「移民」を直視しない。政府の外国人受け入れ促進策は、永住者を増やさず出稼ぎ労働者を増やすことに終始している。「移民」の否認は、日本国籍と高収入の仕事を持った「安定した生」と、在留資格すら持たない非正規滞在者の「不安定な生」という分断を作りだしてきた。
 望月氏は、最初は「出稼ぎ労働者」のつもりがいつの間にか定住する「移民」になっていたケースがいくらでも存在することを踏まえた上で、こう語る。

 そもそもこうした人生の予測不可能は外国人に限った話ではまったくない。
 例えば、私は今いる街に10年近く住んでいるが、住み始めた頃にこれほど長く住み続けるとは思ってもいなかった。そして、これからまだ人生が続くとして、例えば2年後、3年後に自分がどこに住んでいるのかを予想することも簡単ではない。いつ誰と家族をつくるか、どんな仕事につくか、自分を取り巻く様々な環境の影響で、誰にとっても住む場所は変わったり変わらなかったりするものだと思う。
 ましてや10代や20代で来日する外国人の気持ちになってみてほしい。どこに住むか、誰と住むか、どこで働くか、それらが合理的に、計画的に、人間の「自由な意思決定」によって決定されていると考えるのは間違っている。人間はもっと複雑で曖昧な生き物だ。

 バクちゃんは、まさに「自由な意思決定」とは程遠い理由で地球へ移住せざるを得なかった少年である。
 絵本の挿絵のようなフォルムのバクちゃんは、実在する国や人種などを読者に限定させないまま、あらゆる移民の生きづらさを伝える。「トイレ座ってできる? 犯罪なんてしないわよね?」と大家から不躾にたずねられたり(第2話)、移民仲間が親切心から発した「学歴ない外国人にいい仕事なんてないって!」という言葉が胸に刺さったりする(第5話)。就職のために携帯電話を買おうとしても、携帯電話を買うには銀行口座が必須で、しかし口座開設の条件にバクちゃんの現状が適わない(第4話)。
 うっすらとした膜のような不安が、常にバクちゃんを覆っている。幸運にも住む場所だけは確保できたが、暮らしの先行きは見えない。
 しかし、バクの星に夢がない以上、バクちゃんは地球で生きるしかないのである。移民の先輩サリーさんが、「地球は好き?」とバクちゃんにたずねられて返した「選択肢ないよ(ノーチョイス)」の一言には、好悪の念をこえた実感がこもっている(第5話)。
 第6話で登場するダイフクは、バクちゃんとは違う角度から「移民」の事情を照らしだす。
 ダイフクもバク星人だが、3歳から地球で暮らしているため、バクの星の字が読めない。成体のバクは地球人型に変身できるのだが、ダイフクはバクの姿でいるよりも人間の姿でいるほうが楽だ。バク星にも地球にも、故郷という感慨をいだけない。「移民」像の複雑さを読者に教えるキャラクターが、ダイフクである。

 テニスの大坂なおみ選手が、黒人差別に抗議する運動「ブラック・ライブズ・マター」(Black Lives Matter)に賛同し、暴行などによって命を落とした犠牲者の名前を記したマスクを着用して全米オープンに臨んだことは記憶に新しい。
 しかし、大坂選手のスポンサーである日清食品は、彼女の反差別の意思を自社の広告に反映させなかった。そのほかの大半のスポンサーの広告も、BLMをあいまいに想像させる程度のものであった。ハフィントンポストの調査に対し、大坂選手の行動に踏み込み、はっきりと同意するコメントを出したのはヨネックスのみである。

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 入管施設での収容者への暴行や、在日コリアンへのヘイトスピーチ、部落差別など、出身や文化などが異なる「他者」との関わり方に根差した問題は、日本にも蔓延している。ヨネックスを除く大坂選手のスポンサーの沈黙は、多様なルーツを持つ人間がひとつの社会で暮らすことに対する無関心さの表れとも言える。

「日本生まれ日本育ちの日本人」だけで形成される国が日本ではない。この社会は、バクちゃんやダイフクのような存在をたしかに内包している。『バクちゃん』3話、おじの研究員仲間ウルフが語る「元気だしなバクちゃん 出会うべき人とは会えず思ってもいない人間と出会う よくあることさおれたち移民には」という印象ぶかい励ましの言葉は、『ふたつの日本』で望月氏が述べた、「故郷(ホーム)は孤独に懐かしむものではなく、たまたま居合わせた人々と一緒になってつくっていくものだと思う」という一文と響き合うものがある。
「故郷(ホーム)」の在り方や捉え方が変われば、「移民」との距離もきっと変わる。地球もいつか、バクちゃんにとってかけがえのない「故郷(ホーム)」になれるかもしれない。

 ファンタジックな外見のバクちゃんは、ともすると現実世界の「どこにもいない」ように見える。
 しかしバクちゃんは、「どこにもいない」かのように現在進行形で蔑ろにされ続けている、じつは「どこにでもいる」隣人の姿である。そんな隣人への想像力を育むための最初の一歩を、バクちゃんは教えてくれる。
『バクちゃん』は、2021年1月12日発売の2巻で完結予定とのことだ。打ち切りが決まったために省かれてしまったエピソードなどもあるだろう。2巻はもちろん楽しみだが、省かざるを得なかった細部を新たな形で汲みあげた『バクちゃん』のその先を、どこかで読めたらと願っている。